有害な生産、必要な生産

大量生産の現代社会において、生産力が過剰(デフレ)になると、戦争で他国の生産力を削減しようとする国が現れます。

戦争はなぜ起きるのか
これに対して、資本主義社会では、その高い生産性のおかげで、インフレという物不足の局面においても、餓死者が出ることはまれであるから、戦争する必要は少ない。むしろ戦争をしなければならない時期は、資源増加局面において、資本と労働者数に過剰感が出てくるデフレの時期である。

戦争においては多数の人間が殺される。しかし人を殺す理由が、ディスインフレ型戦争とリフレ型戦争では異なる。インフレ局面においては、需要が供給に対して過大であるから、消費者としての人間を大量に殺して、過大な需要を削減することが求められる。また資源の獲得が目的であるから、敵が所有していた資源を戦利品として持ち帰るという現象がしばしば見られる。

これに対して、デフレ局面においては、供給が需要に対して過大であるから、働き盛りの男性である兵士に殺し合いをしてもらって、労働市場における供給過剰を削減することが求められる。しかし男性労働者は消費者でもあるから、デフレ解消という点では逆効果の面もある。だから、リフレ型戦争では、大量破壊兵器を用いて、人間以上に施設を攻撃し、過剰になった生産設備を削減することに力が注がれる。

湾岸戦争やアフガン空爆を見ても明らかなように、現代のリフレ型戦争では、生産拠点の破壊が主で兵士の殺戮は従である。特に、純粋な消費者である女性や子供を殺したりすると、たとえそれが誤爆によるものであっても、国際社会の強い非難を浴びるが、それはデフレからの脱却というリフレ型戦争の本来の趣旨に反するからである。捕虜の扱いも異なる。前近代的ディスインフレ型戦争では、捕虜を皆殺しにしたり奴隷にしたりしたが、近代的なリフレ型戦争では、そうした消費を減退させることは行われない。このことは人権意識の向上とかヒューマニズムとかで説明されることが多いが、要は、資本主義社会では、人口の削減が戦争の第一の目的ではなくなったということなのだ。

そんな、戦争の原因にもなる生産とは、そもそも何なんだろう。戦争で人を殺してまでして生産する必要があるのか?

そんなことを考えていましたら、To live is to think. で答えを書いてくれました。

「人」こそが、最強のリスクヘッジ
これからは必要なものしか残らない。
不要なものは今までのように大量に生産することはできない。

簡単に言えば借金が今までのようにできなくなるからであるが、その理由はここでは述べない。
(上記の書籍を読んだり、ポッドキャスティングを聞いていただければご理解いただけると思います。)

「ものづくり」とは本来必要かどうかわからないものを「産み出して」富を得るシステムであるが、工業化、産業化が進んで、ものづくりは単純労働の一部と化した。

その結果が、現在のとてつもない在庫の山である。

(略)

人が金を信用している間は、金を持っていれば生活できることと同様に、人がより多くの人に信用されていれば、深い絆をたくさん構築している人、人から必要とされている人の所へは金は自然と集まってくる。金がなくても生活できるヘッジがあるということだ。

こういう人こそ本当に豊かな人と呼びべきだろう。

混乱のあと、最終的に残るのは「金」ではない。「人」である。

これからの生産は、量ではなく質が大事。

金を集めて大量生産するのではなく、人間性で質の高いもの、必要とされているものを生産する。これができれば戦争が減り、無理矢理殺される人も減るでしょう。これが正しい道であり、生き残れる道でもあると、私も思います。


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松浦彰夫 拝


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