化粧する脳 茂木健一郎、恩蔵 絢子

化粧する脳 (集英社新書 486G)

化粧する脳 (集英社新書 486G)

「化粧」から人類の脳と進化を論じた本です。ミラーニューロン、天岩戸と鏡の話も載っています。コミュニケーションスキルについて示唆に富む本です。


人類は社会的な存在であるので、コミュニケーションが大事。コミュニケーションは顔を見てするのが大事。顔を良くするために「化粧」をする。つまり、「化粧」はコミュニケーションを円滑にする機能があり、社会的な存在である人類の役に立つものだということになります。

論理能力と共感能力

まず、脳の機能として、論理的にシステムを構築する能力と、共感によってコミュニケーションをする能力がある。そして、論理が強い人は共感が弱く、共感が強い人は論理に弱い。男性は論理が強い人が多く、女性は共感が強い人が多い。


「化粧」はこのコミュニケーションの方を伸ばす手段となります。コミュニケーションの弱い男性でも、「化粧」を理解することで、コミュニケーションを強化することができるかもしれません。

顔に化粧をするのは脳に化粧をすること

脳で考えたことは顔に表れる。顔はそんなに大事なのに、人と向き合っているときに自分の顔を見ることはできない。よくよく考えると怖いことである。鏡を見て化粧をするのは、人に自分をどう表現するかの修行でもある。だから、化粧をすればするほどコミュニケーションが得意になっていく。そのせいか、化粧をする時に脳を測定すると、「化粧をするのは楽しいことだ」ということも分かったそうです。


化粧とは具体的に何をしているかというと、「見せるべきものをはっきり見せ、見せたくないものを目立たなくすること」だそうです。

人間の脳がいちばん喜びを感じるのは、他人とのコミュニケーションだということはよく知られている。とくに目と目が合うことはいちばん嬉しいことだ。化粧でもアイメイクが重要視されるのは、このためだ。アイラインをくっきりと引いて、アイシャドウでメリハリを付け、マスカラで睫毛を強調する。そんなメイクの一つひとつに、他人とのコミュニケーションでは大きな意味があるのだ。
目が合えば「あ、わたしはこの人に注意を向けられている」「関心を持たれている」「心にかけてもらっている」と感じ、脳が喜ぶ。このアイコンタクトは、コミュニケーションの基本である。
[化粧する脳 42-43P]

顔の美

さまざまな顔を合成して平均顔を作ると十分に魅力的な顔になるそうです。平均顔のいいところは、親しみやすいのと、感情表現が読み取りやすいこと。俳優に美男美女が多いというのは、美男美女=平均顔は感情が分かりやすく表現されているという合理的根拠がある。美人かどうかは、物理的造形より、コミュニケーションのとりやすさに重点がおかれている。

秘密を抱く女性は美しい

化粧は隠す所は隠し、表情に反映しやすい目元や口元はアピールする。「隠す/見せる」のコントラストが顔の美しさを生む。
そして、世の女性は「女」と「おばさん」に分かれている。「隠す」のが上手い女性が「女」で、おばさんは「隠す/見せる」のコントラストが無い。顔の問題ではなく、言動の問題である。時も場所も相手も選ばず、何事も包み隠すことをしなくなってしまう。「無意識の垂れ流し」と筆者は名付けている。
大勢の人がいる部屋で暑い場合、「おばさん」は「あー、暑いわね、暑い。クーラーが壊れているのかしら。喉乾くわよね。窓、開けたほうがいいかしらね。」と垂れ流すので、同席者にとってはノイズになってしまう。「女」は思ったことのすべてを口にしない。「この部屋、暑いですね」と一言言ったとたん、周りの男たちはそわそわしはじめる。「何か冷たい飲み物を持ってこようか?」「窓、開けようか?」。それとも、彼女はどこか外の涼しいところに自分と一緒に行きたがっているのかもしれない。男は「暑いですね」の一言の真意を探ろうと、必死になってしまう。隠された言葉に駆り立てられる。
自分の言動を選択し洗練させることで、「女」は男性を惹きつける。化粧を同じである。言動も隠すところは隠し、見せるところは見せる。このコントラストを作れるだけでずっと美しくなれる。


男性は隠すのが苦手で、特に女性は男性の秘密に鼻が利く。男性はどうすべきかというと、本来なら隠しておきたいような自分のいちばんの弱点や欠点を、人前でユーモアを交えて語ること。コンプレックスを人前で隠そうとするほど、周囲は腫れ物に触るようになり、その場の空気は張りつめる。ところが、自分の欠点をみずからユーモアを交えて語れれば、緊迫した空気は一気に和み、お互いの距離も縮まる。
自分を客観的に見ることができる知性「メタ認知能力」があるため、女性から「大人の男」として好感を得ることができる。

無意識の意識化

「自分自身から解放される」ことがメタ認知であり、自分以外の視点に立って自身を見つめること。自分自身を再発見することが創造性につながる。母国語でなく外国語で表現することもメタ認知の一つ。人間の脳にとっていままで気付かなかったことに目を開かされることは喜びである。ホームグラウンドだけで戦っても手の内は知れている。究極のメタ認知はアウェイ戦であり、まったく気心の知れない他者に自分を対応させることによって、いままで気がつかなかった新たな自分の姿や能力を発見することもある。

無私を得る鏡

個性とは他者との関係において共通の基盤が築かれていなければ、磨くことはできない。個性は「出発点」にすぎず、個性から出発して「普遍」に至ろうと努力するのが大切であり、芸術となる。究極のメタ認知は「無私」である状態のことかもしれない。他者との折衝のうちに磨きあげられ、個を克服して普遍にいたったときに、心の鏡は完成する。
無私は、「ナチュラルメイク」のようなもの。何も加えられていないようで素の顔に見えるが、実際は鏡を見て気を配り、化粧されている。もっとも理想的なメタ認知のあり方が「ナチュラルメイク」。言葉でも無駄が無く、聴くものの心にストンと落ちるものがいい。

感想

私、松浦彰夫なのですが、趣味としてコスプレをすることがあって、これも化粧みたいなものです。よそおうことにこんな意味があると研究されている方が居て、感慨深いです。見られることを意識することは脳のためにも良いことだったのですね。


松浦彰夫 拝


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