美心主義は成立するか?(歴史編)

連山が改装しますので、昔の記事を流水成道に引っ越しします。2008年7月 1日 10:00の記事です。

発端

「日本は美を大事にすることによって、社会の秩序が成り立ってきた国だ」と、ある人から聞いたことがあります。もう15年も前です。田舎から都会に出てきたばかりの、世間知らず、おのぼりさん大学生だった筆者には、何のことかさっぱり分かりませんでした。解説しますので、おつきあいください。

背景

当時、儒学者の先生と縁があって、東洋思想の学生向けの勉強会に参加する機会がありました。冒頭のは、その先生から言われた言葉です。いろんな話を伺っていたんで、特にこれを気に留めなかったんですが、しばらくして気になって仕方がなくなりました。今さら、「そう言える根拠は何?」、「美って何?」、「秩序って何?」、なんて聞くことも出来なくなってしまったので、自分で調べることにしました。

「心の中に物差しを作ることは大事なことで、本当の勉強とはそういうことだ」という話も聞きました。「物差し」ってのは判断基準のことですね。

  何が正しくて何が間違っているか。
  誰が偉くて誰が劣っているか。

自分の中に判断基準が無ければ、一貫性が無く世間に流されるだけで、結局何も残せない。だから勉強して、判断基準を身に着けて、価値判断が出来るようになれ。そういうことを言われました。確かに、そんな気がします。

「日本が美によって成り立ってきた」というのは、日本の国としての物差し=判断基準が、「美か醜か」、ということです。
本当でしょうか?

美というのは、物質的なものだけではなくて、心の美しさもあります。美しい心を「まごころ」と呼んで、日本では昔から尊重されてきました。(どのくらい昔から尊重されてきたのかは、分かりません。)まごころとは、「他人の幸せを願う心」です。これは筆者の物差し=判断基準では、美しさ満点です。

心というのはやっかいな性質があって、形がありませんので、そのものは見えません。しかし、行動から推測することができます。心が外に表れたのが行動だから、行動が美しい人は心も美しいはず、という理屈です。

武士の美意識

江戸時代の武士は、美しい行動をすることに、現代人から見ると異常なくらい、こだわったそうです。
  道や廊下の角を曲がるときは、直角に曲がる。
  いつでも背中を伸ばし、足を投げ出さない。
行動から心の美しさを証明しようとしたのでしょう。

心の美しさを表す言葉が、たくさん共有されていました。
  義、勇、忠、孝、信、礼、など。
これらは漢字なので中国起源ですが、日本的な「まごころ」の種類を説明するものとして使われたのじゃないかと、筆者は思ってます。

また、金儲けは醜いものだという認識があり、質素につとめました。質素を美しいとする、侘び寂びという価値観もあります。武士が物質的な贅沢をよしとしなかったのは、もともと武装した自営農民、屯田兵、開拓農民団だからなのかもしれません。質素でないと出来ない、武者修行の風習もあります。漂泊の旅をした西行法師も、元は北面の武士でした。源頼朝西行法師と会ってますし、何かしらの影響を受けて、質素が武士の標準になったかもしれません。源氏は皇室の分家ですね。

武士の時代の前は、貴族・公家の時代である、平安時代です。平安時代末期は、中央集権が強くなりすぎて、税がどんどん重くなり、貧富の差が広がり、民衆の生活は苦しくなっていったようです。そこで農民は、源氏等の名門の武士に農地を寄進して私有地にすることで、重税から守ってもらうことにしました。源氏の前に天下をとっていた平氏は、貴族化することにより農民を守らなくなり、農民の支持を失って、源氏の勢力拡大をゆるしてしまったようです。源頼朝は都と距離をとり、武士が中央政府と民衆の間を取り持つという役割を確定させ、社会の安定を回復することに成功しました。政治の天才といえます。

公家の美意識

平安時代の公家・貴族は、和歌を詠んだり、蹴鞠をしたり、楽器を演奏したり、遊んで暮らしてたように思えますが、ある意味、美のために生きていたともいえます。この場合は芸術としての美ですね。和歌が下手だと結婚も出来ないので、それなりに必死だったと思います。でもやっぱり、遊んで暮らせるので良い身分です。

なんで芸術活動に励んでいたか考えると、その前の時代の奈良時代は、戦乱の時代でした。物部氏vs.蘇我氏、というように豪族間で抗争をしていました。兄弟間の後継者争いも、武力闘争です。負けた方は、聖徳太子のように一族滅亡です。

そんな過酷な争いに嫌気がさした、藤原不比等(または藤原氏の周囲の誰か)が、文芸を奨励してエネルギーを転換することで、戦乱を終わらせたのだと思います。平安の文芸は、例えば和歌だと歌合せとかいって、勝負の要素が強いものです。戦争のかわりに、オリンピックで競う、みたいなものです。

歴史編まとめ

このように、公家は芸術の美意識、武士は行動の美意識を、それぞれ練り上げてきました。芸術の美は集団間(横)の争いを、行動の美は階層間(縦)の争いを調停する性質があるようです。これが「日本は美を大事にすることによって、社会の秩序が成り立ってきた国だ」という話の、歴史からの考察です。


次回、未来編に続く。


松浦彰夫 拝

コメントも移動。

美意識による人間の価値観。非常におもしろくまた関心いたしましたのでコメントしたく思います。
身体に美しいと書いて、躾・・・。
しかし躾の本質を理解している人は少ないと感じます。
また人がどうすればよい・・・ということに対しての答えも然りです。
私は思うひとつの答えは・・・わからない・・・ということ。
つまりわからない心境に立って、はじめてどうすればよいかと、判断しなくてはいけない状況になる。つまりわかりきったことですが、この先はわからないということです。
しかし今ある状況はひとつひとつ理解することをつとめれば、今の状況を認識、つまり知ることができます。知っているということですね。
話はもどりますが、美しいということはどういうことかわかりませんが、すくなくとも美しいことは知っている。また自分がどうしていくことが自分にとって美しいことかを考えることが、躾にも通じる美しさではないでしょうか・・・。
そういった自分自身のみを見つめなおす自分の時間をもつことも、大切に思います。

Posted by あるかりまさお at 2008年7月 1日 01:43


人気ブログランキングに参加しています。下記リンクのクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ