知能の高い子どもを育てる方法【教育×破壊的イノベーション】

子どもをつくる予定の人必見。知能の高い子どもを育てるにはどうすればいいかの方法です。これで、子づくりも怖くない。
教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する - 流水成道の続きです。

教育×破壊的イノベーション~教育現場を抜本的に変革する

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第6章 幼年期が生徒の成功に与える影響
幼稚園入園前になされるべきことがうまくなされれば、学校の仕事はかなり楽になる。入学前の課題は、次の三点を核にしているとわれわれは考える。

  1. 幼児期に知的能力を開発すること
  2. 強い、肯定的な自尊感情ーー核となる自己像ーーを養うこと自尊感情は生涯にわたって育まれるが、その基盤は幼児期に確立される
  3. 生涯にわたって学習を継続する動機となる、知的好奇心を触発すること

(略)
人間の知的能力の大部分が生後三六カ月の間に決定されることを教えてくれる。
(略)
喋り始める十二カ月頃まで親から真剣に語りかけられなかった子どもは、生まれたときから盛んに語りかけられなかった子どもに比べて、その後も知的能力が一貫して劣っていた。
(略)
三歳の時点で行なったスタンフォード・ビネー知能テストの結果、子どもが耳にした言葉の数と子どもの語彙の相関係数は0.6と両者の間に強力な直接的相関関係が認められた。子どもが耳にした語数から「用向きの話」を除外し、いわゆる「余分な話」(以下で説明)だけに注目したところ、子どもに語りかけられた語数と子どもの知能指数の測定値の間の相関関係は0.78だった。これはおよそ計測可能な最も高い相関値に近い。
その後も子どもたちの進級に伴い、追跡調査が行なわれた。子どもが三歳になるまでに聞いた余分な話の語数と、九歳(三年生)時に実施されたピーボディ絵画語彙検査の得点の相関関係は、0.77だった。語彙の広さと読解力テストの成績との間には、強力で十分な裏付けのある相関関係が存在する。


言葉のダンス
では子どもの知的能力とこれほど強く結びついている「余分な話」とは一体何なのだろう?ハートとリーズリーは調査を行なう中で、親と乳幼児の間で交わされていた会話には、二種類あることに気がついた。かれらが「無口」と称した親は、子どもに「用向き」、つまりやるべきことだけを伝えるだけのことが多かった。「早く食べなさい」「手を出して」「車に乗りなさい」「寝る時間よ」といった具合に。乳幼児を相手に行なわれる用向きの話は、豊かでも複雑でもない。それは単純で、直接的で、即決を要する会話だ。先に述べたように、「用向き」に関わるやりとりが認知発達に与える影響は比較的限定的である。
本当に重要なのは、ハートとリーズリーが「言葉のダンス」と名づけた態度で語りかけられる言葉だ。親は乳幼児と面と向き合って、完全に大人の、洗練された、くだけた言葉を使って、あたかも乳幼児がその発言を聞き、理解し、完全に返事をしているように語りかける。言葉のダンスが起こるのは、子どもをショッピングカートに乗せているときや、洗濯物をたたみながら、授乳中、おむつ替えをしながら、抱っこしながら、といったときだ。それは意識的で、妥協のない、私的な大人の会話なのだ。
用向きの話をいくらしても、言葉のダンスにはならない。言葉のダンスとは、たとえば「こうなったらどうする」「覚えているかい」「こうしなくていいの」「ああした方がいいんじゃない」といった会話で、乳幼児に身の回りで起こっていることについて深く考えさせる質問という形を取ることが多い。言葉のダンスは、おしゃべりをしたり、考え事を口にしたり、子どもの行動について意見を言ったり、自分の行動や計画についてあれこれ話したりするときに起こる。この種のやりとりは、子どもたちの好奇心を育むことが証明されている。

子どもに語りかけられる言葉の数が、語彙と認知発達にそれほど重大な影響を及ぼすというのなら、忙しい親は乳幼児をテレビの前に座らせておけばよいのではないのだろうか?あるいはベビーチェアーを隣に置いて商談を行なえばよいのではないか?いや、それほど簡単なことではないのだ。この種の「背景雑音」は、子どもの知能にほとんど影響を与えない。
また読解力に影響を与える最も強力な要因が、聴覚処理能力であることを示す研究もある。そして、洗練された大人の言葉で語りかける親の声に乳幼児が耳を傾けるときに研ぎ澄まされるのが、まさにこの能力なのだ。


世代を超えた呪縛?
リーズリーとハートの研究から得られた最も重要な成果の一つは、親の所得、民族性、教育水準が、子どもの獲得した認知能力の水準に対して、まったく説得力を持たなかったことだ。それは親が行なう言葉のダンス、つまり単なる用向きの話以外に行なう余分な話の量によってすべて説明される。余分な話の量は、文字通りすべての結果の分散を説明した。
リーズリーは次のようにまとめている。「別の言い方をすれば、貧困層の働く親の中にも、子どもにたくさん語りかけていたケースはあり、その場合子どもの成績は非常に良かった。また、裕福な共働きの親たちにも、子どもにほとんど話しかけないケースがあり、子どもの成績は非常に悪かった・・・・・・。人種間にも分散はない。結果の分散はすべて、乳幼児が三歳になるまでの間に家庭内で行なわれた語りかけの量によって説明された」


対処法
人を雇って入学前の語りかけに成功していない親の代わりをさせる計画に資金を提供するよりも、親になる前の子どもに、親になるとはどういうことなのかを教えた方がおそらく効果が高いはずだ。それほど遠くない過去のある時期には、ほとんどの高校が家政学、自動車修理、木材金属加工といった教科指導を行い、若い人たちに大人としての生活に対する心構えを持たせていた。高校は、将来の親たちに乳幼児期の認知発達を教えるべき場所なのかもしれない。その恩恵は広く社会に及ぶだろう。生後間もない時期にどのような方法で子どもたちとふれあえば、子どもの学業面での成功を助けてやれるかという知識は、世代を超えた学業不振と貧困の悪循環に子どもとともにとらわれてきた、スラム街の若いシングルマザーに大きな利益をもたらすだろう。またこの知識は将来の共働き夫婦にも役立つだろう。親になったばかりの共働き夫婦は、出産後できるだけ早く職場復帰しようとするあまり、乳幼児を早い時期から保育士の手に委ねることが多い。だが大勢の子どもを預かる保育士は、用向きの話で手一杯なのだ。高校にこのような過程があれば、より良い情報に基づいた選択ができるようになるだろう。
アルバート・アインシュタインが言ったとされる名言には、本章のテーマと関連性の高いものが二つある。一つは、「問題が起きたときと同じレベルで考えていても、その問題を解決することはできない」というものだ。二つ目の名言は狂気の定義である。「狂気とは、同じことを繰り返しながら、違う結果を期待することだ」。親になる準備不足に多くの家庭が苦しめられていることは、何十年にもわたって見過ごされてきた。学校が組み込まれている制度全体の問題をとらえるようなレベルで考え、学校さえ改革すれば学校の問題を解決できるという思いこみを捨てない限り、成功はあり得ない。

知能の高い子どもを育てるには、生まれてから3年までのできるだけ早い時期(特に1年目)に、「言葉のダンス」つまり、身の回りで起こっていることについて深く考えさせる質問をすればいい。そして、それを親になる前の若者に教えればいい、ということです。
これが、なぜ経済の豊かな日本で子どもが減るのか? - 流水成道の問題の対策になります。


松浦彰夫 拝


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