新しい日本を建設する 藤原直哉

衆議院財務金融委員会で演説もした藤原直哉氏の新刊の書評です。http://www.fujiwaraoffice.co.jp/

財務金融委員会の映像はこちらから。

テキストは橘みゆきさんの所で読めます。

新しい日本を建設する

新しい日本を建設する

内容が濃いので全部は紹介しきれないですが、いくつかピックアップします。実際に読むのが一番分かりやすいはず。

1980年代のアメリカは貿易赤字で苦しんでいましたが、日本は好調でした。そこでアメリカをはじめ、世界中が日本を研究し、日本式経営に産業民主化というものを発見しました。

P37 産業民主化の威力
産業民主化というのは労使が一体になり、企業の意思決定に多くの社員も加わるということですが、日本は第二次大戦の敗北でそれまでのリーダーたちの権威が失墜したために、産業民主化は浸透しやすかったようです。
たとえば少し古い資料ですが、1980年の『季刊現代経済 第41号』には次のような記述があります。冬至はイギリス、アメリカの製造業で著しい非効率が問題となっていて、そのことを当時の日本は英国病、米国病と呼んでいました。少し長くなりますが、大変重要なポイントを含んでいますので引用してみたいと思います。


「日本が先進諸国のなかでは例外的に「病理現象」をまぬがれているのは事実らしい。その理由を、日本人の勤勉さとか、労働組合の弱さとか、総じて心がまえに求めるのはむずかしい。まして日本の文化的伝統などというあいまい模糊たるものに求めるのは、不当な語義拡張になろう。企業内で幅広く経験するという熟練こそ、その非先進国病の条件と考える。この条件は決してとびはなれて特殊なものではあるまい。むしろ西洋でホワイトカラーに広くみられるものではないだろうか。日本はそれをブルーカラーの一部にまで広げた点で特色がある。その結果、下からの工夫、下の人々の権限の拡大、総じていっそうの産業民主主義に近づいているにすぎぬ。そのために、人々はよく工夫し、欠勤しないのである。」


まことに恥ずかしいことに90年代後半以降の日本は、こうした産業民主化の美風を忘れて、まったく正反対のことをしたために、企業も人も国も疲弊してしまったわけです。そして80年代までに日本が体現していた産業民主化に伴う産業の高い競争力の維持は、その後、欧米でも優良企業の経営において良き見本となっていきます。

社員が現場で経験から発見したものを上手く取り入れる、ボトムアップの仕組みが産業民主主義ですね。この強みを忘れてしまった企業は、反省して取り戻すべきです。いわゆる集合知です。

しかし、日本の良い所だけでなく、悪い所、土地を使ったバブル経済まで欧米に取り入れられました。これがサブプライムローンの遠因になったようです。それは真似しなくていいのに。楽して儲けようとした人が引っかかりました。

このせいで、世界に投資銀行がなくなってしまったので、日本で新しい投資銀行を作り、長期的な視点で投資をする。それで恐慌から脱却する。そういう趣旨のようです。
(なお、投資家というのは経営者より経営が分かっていないといけないそうです。経営者が失敗したら別の良い経営者に変更する。そういうことができる会社は伸びるとのこと。投資も難しいです。)


松浦彰夫 拝


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